立候補届出の実務と戦略 ―現場で絶対ミスできない手続の要諦―

選挙戦のスタートラインとなる「立候補届出」。 これは単なる事務手続きではありません。届出順によるポスター位置の決定という「最初の選挙戦略」であり、ひとつの書類不備で出馬そのものが閉ざされかねない「法的関門」でもあります。

本記事では、公職選挙法の専門的見地から、現場で知っておくべき実務のポイントと、意外な落とし穴について解説します。

立候補届出の「時間」と「ポスター戦略」

立候補届出の時間

選挙について選挙管理委員会、投票管理者、開票管理者、選挙長等に対して行う届出、請求、申出その他の行為は、午前8時30分から午後5時までの間に行わなければなりません。多くの候補者は朝一番(午前8時ころ)に集合して届出を行いますが、その後にゆっくりと届出することも可能です。

なお、朝一番で届出をすると公営掲示板のポスター掲示場所をくじ引きで決定しますが、その後に届出をすると既に届出を済ませた候補者の掲示場所の次の番号から先着順で割り当てられることになります。

なぜ「朝一番(8時半)」に候補者が殺到するのか?

多くの陣営が朝8時頃に会場へ集結するのには、明確な戦略的理由があります。それは「ポスター掲示場の場所取り」です。

  1. 8時30分にその場にいる候補者: 受付順(=ポスター番号)を決めるための「くじ引き」に参加します。
  2. それ以降に来た候補者: くじ引き組の後ろの番号から、到着順に機械的に割り振られます。

なお、あえて遅れて届出を出し、連続したポスター掲示場所を多数選挙する手法(いわゆる「ポスタージャック」)が横行したため、選挙ポスターに関する規定が新設されました。

立候補届出の必須書類と法的注意点

地方議員選挙における本人届出を例に、添付書類とその注意点を解説します。添付書類は以下のとおりです。

  1. 供託書原本
  2. 宣誓書
  3. 所属党派証明書(公認候補の場合)
  4. 戸籍の全部事項証明書又は個人事項証明書(旧名称:戸籍謄本・抄本)
  5. 通称認定申請書(通称を使用する場合)
  6. 住民票の写し(任意、住所確認のため本人分のみで可)

1.供託書 ― 「誰が払うか」に要注意

供託金制度は、公職選挙法第92条に基づく重要な制度です。この制度の目的は、売名目的や泡沫候補の乱立を防ぎ、選挙の公正を保つことにあります。一定の得票率に達しなかった場合、供託金は没収され国庫または地方自治体に帰属します。

「供託書」は、供託した際に、供託した法務局若しくは地方法務局又はその支局から発行されます。

供託書への氏名記載の原則

供託する際に法務局等において供託書に記載する候補者の氏名は、立候補者の本名(戸籍簿に記載された氏名)を記載しなければなりません。また、推薦届出の場合でも供託書の「供託の原因たる事実」欄に、候補者の本名を記載しなければなりません。

後述するように選挙では通称を使用することも可能ですが、供託書には戸籍名を記載します(通称を記載しない)。

供託者は必ず「候補者本人」または「推薦届出人」でなければなりません。

第三者(選対本部長や親族など)の名義で供託されたものは、たとえ金額が合っていても法的に無効となり、届出は受理されません。過去にはこのミスで立候補を断念した事例もあります。必ず「候補者の本名(戸籍名)」を記載してください。

供託のタイミング

供託は、選挙期日の公示日前でもすることができますので、早めに済ませることをお勧めします。市議選等の場合には告示日当日が日曜日のため供託できません。その他の選挙種でも告示日当日は様々な準備で慌ただしくなりますので、数日前に法務局または地方法務局の本局・支局で供託を済ませておくことを強くお勧めします。

選挙種別ごとの供託金額

選挙の種類供託金額
衆・参議院(選挙区)300万円
都道府県知事300万円
指定都市 市長100万円
市区町村長(指定都市外)50万円
都道府県議会60万円
指定都市 市議会50万円
市区町村議会(指定都市外)30万円

2.戸籍証明書(全部事項証明書など) ― 国籍の証明

戸籍に関する証明書は国籍を確認するために必要です。公職選挙法第10条は、被選挙権の要件として「日本国民であること」を掲げています。なお、戸籍には住所地が記載されていないため、戸籍に関する証明書の他にも後述の住民票が必要となります。

全部事項証明書と個人事項証明書の違い

被選挙権の要件である「日本国民であること」を証明するために提出します。現在はコンピュータ化により、名称が以下のように変わっています。

  • 戸籍全部事項証明書(旧:戸籍謄本)
  • 戸籍個人事項証明書(旧:戸籍抄本)

※独身の方など、戸籍に1名しか記載がない場合は「全部事項証明書」となります。実務上はどちらを用意しても問題ありません。

実務上の呼称について

法務局や市区町村の窓口では正式名称である「全部事項証明書」「個人事項証明書」が使われますが、一般的な会話や説明では依然として「謄本」「抄本」という用語も広く使われています。

立候補届出の際には、正式には「戸籍全部事項証明書」または「戸籍個人事項証明書」を添付することになりますが、選挙管理委員会への説明では「戸籍謄本または抄本」と言っても通じます。

3.通称認定申請書 ― 芸名・ペンネームの使用

立候補届出は、本名(戸籍上の氏名)で行うのが原則です。しかし、本名以外で広く通用している「通称」がある場合、立候補届と同時に「通称使用の申請」を行うことが可能です。

立候補届出の告示、新聞広告、政見放送、経歴放送、選挙公報および投票記載所等における氏名等の掲示に、候補者の氏名が記載され、または使用される場合に、本名(戸籍名)に代えて本名以外の呼称で本名に代わるものとして広く通用しているもの(通称)が記載され、又は使用されることを求めようとするときは、立候補の届出と同時に選挙長に申請しなければなりません。

本名を仮名書きにする場合も戸籍名(漢字記載)と異なるものなので、通称認定申請をする必要があります。

通称認定の要件

この申請に際しては、選挙長に対し、その通称が本名に代わるものとして広く通用しているものであることを説明し、かつ、そのことを証するに足りる資料(葉書、名刺、著書等)を提示しなければなりません。芸能人や著名人が芸名で立候補する場合にこの資料が必要です。

代表的な事例

  • 森田健作氏(前千葉県知事、戸籍名:鈴木栄治) – 俳優としての芸名が広く知られているため通称認定
  • 又吉イエス氏(戸籍名:又吉光雄) – 宗教的信念に基づく通称で長年の活動実績により認定

芸能人の場合、出演番組のクレジット、著書の表紙、ファンレターの宛名、新聞記事などが証拠資料となります。

仮名書きの特例

ただし、戸籍に記載された氏名を通常の読みにしたがって、ひらがな又はカタカナ書きとする場合には、通称使用認定申請は必要ですが、説明及び資料の提示は必要ありません。

例えば、戸籍名が「田中太郎」の人が「たなかたろう」または「タナカタロウ」として立候補する場合、通称認定申請書の提出は必要ですが、その通称が広く通用していることを証明する資料は不要です。これは、単なる表記の変更であり、実質的には同一の名前だからです。

通称使用の効果

申請が認められれば、立候補者名の告示、選挙公報や投票所記載台氏名掲示の氏名などにこれを使用できます。なお、通称を使用している候補者が、選挙運動の中で本名も言うことは自由で、本名が書かれた投票も有効となります。

4.住民票の写し ― 「3ヶ月居住要件」の壁

地方議員選挙では当該市区町村議会選挙の選挙権を持っていなければ立候補できません。そして、当該市区町村議会選挙の選挙権を得るには、公職選挙法第9条第2項により、引き続き3カ月以上当該市区町村に住所のあることが必要です。

そのため、候補者が引き続き3カ月以上当該市区町村に住所を有していたか確認する必要がありますので、住民票の写しを添付します。

期間計算の落とし穴 期間計算には「初日不算入の原則」が適用されます。

  • 計算式: 転入届を出した日の翌日から起算
  • 例: 7月1日に転入届提出 → 7月2日が起算日 → 10月1日で満3ヶ月 投票日が10月1日以降であれば被選挙権が発生します。1日でも足りないと立候補できません。

住民票の種類

現在、全国すべての市区町村で住民基本台帳がコンピュータ化されています。住民票の写しには以下の種類があります

  • 世帯全員の住民票: 住民票に記載されている世帯全員の情報が記載されたもの
  • 世帯の一部の住民票: 世帯のうち特定の個人(または複数人)のみの情報が記載されたもの
  • 個人の住民票: 本人のみの情報が記載されたもの

立候補届出では、本人の住所と住所を有していた期間が確認できれば足りますので、通常は「個人の住民票の写し」(本人のみ記載)を取得すれば十分です。ただし、世帯全員の住民票の写しを提出しても問題ありません。

―誰が立候補できるのか―

被選挙権

公職の種類により立候補できる年齢が違います。年齢の要件は以下のとおりです。

被選挙権年齢一覧

公職の種類年齢要件(満〜歳以上)備考
衆議院議員25歳
参議院議員30歳良識の府としての見識を要求
都道府県知事30歳高度な行政能力・判断力を要求
市区町村長25歳
地方議会議員25歳当該自治体の選挙権も必要

年齢要件について

公職選挙法施行令第33条は、年齢計算に関する法律を適用して、誕生日の前日に年齢が加算されると定めています。
具体例:1999年7月15日生まれの人は、2024年7月14日の午前0時に満25歳となり、7月14日以降に投票日がある選挙から立候補できることになります。

なぜ参議院議員と都道府県知事は30歳以上なのか

参議院は「良識の府」として、より高い見識と経験を持つ人材を想定して設計されたという歴史的背景があります。都道府県知事についても、広域自治体の首長として高度な行政能力と判断力が求められることから、より高い年齢要件が設定されています。

立候補ができない人

被選挙権の欠格事由

被選挙権のない者、選挙犯罪やその連座または公職在職中に犯した収賄罪等により立候補を禁止されている者などは、候補者となれません。

重複立候補の禁止

また、公職選挙法第86条の8により、同時にほかの選挙の候補者となる重複立候補も禁止されています(衆議院小選挙区と比例代表の間を除く)。

例えば、参議院議員選挙と都道府県知事選挙が同日に行われる場合、両方に立候補することはできません。

重要な例外

衆議院小選挙区選挙と比例代表選挙の重複立候補は認められています(公職選挙法第86条の2第1項)。これは、小選挙区で落選した候補者が比例代表で復活当選する仕組みを可能にするためのものです。いわゆる「比例復活」制度の法的基盤がここにあります。

立候補による自動失職

自動失職制度の概要

公職選挙法の規定により、国家公務員、地方公務員、特定独立行政法人と特定地方独立行政法人の役職員などは、在職のままでは立候補できません。これらの公職に就いている者が立候補を届け出た場合は、公職選挙法第89条および第103条により、届け出がされた時点でその職を辞したものとみなされます。

このような立候補の届け出をきっかけとした辞職のことを「自動失職」といいます。

自動失職制度の趣旨

この制度の趣旨は、公務の中立性・公正性を保つとともに、現職の地位を利用した選挙運動を防止することにあります。

実務上の取扱い

実務上、公務員が立候補を決意した場合、通常は告示日前に辞職願を提出するのが一般的です。しかし、退職手続が間に合わない場合や、当選の可能性を見極めてから辞職したいという心理から、自動失職制度を利用するケースもあります。

自動失職の場合、届出がされた時点で当然に退職となるため、退職願の提出や承認手続は不要です。ただし、退職金の計算などの事務処理のため、後日、人事担当部署との調整は必要となります。

自動失職の対象外となる役職

※自動失職とはならない役職の例としては、公職選挙法施行令第91条により、以下のものがあります:

  • 民生委員
  • 予備自衛官
  • 臨時または非常勤の統計調査員
  • 保護司
  • 地方公共団体の各審議会の委員
  • 消防団長・団員

これらの職は、その職務の性質上、選挙への立候補と両立可能と考えられているためです。

届出が適法に行われなかった場合の問題

過去には、現職の国家公務員が立候補届を提出したものの、書類不備で届出が適法に行われなかったケースがあります。この場合、立候補届が要件を満たしていないため自動失職も成立せず、公務員としての身分は法的には継続します。しかし、立候補の意思を公にした公務員が職場に戻ることは事実上困難であり、実務上は辞職せざるを得ない状況に追い込まれます。

このような事態を避けるためにも、届出書類の事前確認と準備は極めて重要です。選挙管理委員会の多くは、事前審査制度(任意)を設けており、告示日前に書類を持参して確認を受けることができます。この事前審査を活用することを強くお勧めします。

政治活動と選挙運動の違いはこちらを御確認ください。